究極の選択
唐突な話だが・・・・・
”鷹”は人間と同じように70年以上生きると言われる。
しかし40歳を過ぎる頃、大きな節目が来るという。
その節目の現象とは?
爪はボロボロに、くちばしは変形し、羽根は抜け
挙句の果てに“獲物”は取れなくなる。
ここで鷹は“2つ”の究極の選択を迫られる。
① このまま“死”を受け入れるのか?
② 新しく生まれ変わるための苦しい努力をするか?
② を選んだ時
まず険しい山の上に巣を作り、苦行を始める事となる。
※ くちばしを何度も岩に叩きつけ、全てを潰す。
そうする事によって、新しいくちばしが生え始める。
※ その新しいくちばしを使って、爪を全て剥ぎ取る
そうする事によって、新しい爪が生え始める。
※ 今度はそのくちばしで残っている羽根を抜く。
そうする事によって、新しい羽根が生え始める。
そして・・・・・・
残りの30年を生きながらえていくと言う。
節目にあたって、楽な“死”を選ぶのか
はたまた、勇気を振り絞り、苦しい“生”へのアプローチを選ぶのか。
さてさて、あなただったらどうする?
光の賛歌 印象派展
歴史に残る歌唱力を持ったダイアナロスが言っていた。
いくら凄い歌唱力を持っていても、良い曲に恵まれないと
いつもヒット曲を出せない。
全く同じ例ではないが
実力のある著名な画家であっても
常時素晴らしいものを描けるとは限らない。
自分の描きたいものとは違ったパトロンの意向もあるだろうし
作品が時代の流れに沿わないこともあるだろうし・・・・・
描く気は無いのに、経済的な問題もあるだろうし・・・・
さて、京都での打ち合わせのあと
好奇心、期待感、そして達成感を得るため
京都文化博物館で開催されている「光の賛歌」印象派展を覗いてきた。
出展されている画家たちの名前が凄い。
セザンヌ、ターナー、カイユボット、ルノアール、ピサロ、シスレー・・・・・
大手宗教団体の後援もあるのだろうが
平日昼下がりなのに、余りの人出で“入場制限”
期待感が大きいのだろう。
高齢者や、身体障害者が額に汗しながら
手すりに、また壁に寄りかかって長々と入場を待つ。
しか~し、展示内容は?
鑑賞に堪えれたのは、ルノアールの「ブージヴァルのダンス」
ピサロの「小川で足を洗う女」、それにマネの「アルジャントゥイエ」位なもの。
絵画が展示されていると言うより“名前が展示”されているといった感が強い印象派展だった。
初めての体験
人は“初めての事”には緊張し
慣れ親しんだ、いわゆる“慣れてしまった”事にはいい加減に対応する。
対人関係でも、初めて会った人に対しては
五感を研ぎ澄まし、緊張して対話をするのだが・・・・・
長年連れ添った配偶者や友人に対しては五感の“ご”の字も使わず
ぞんざいに対話をして誤解を招く。
この現象は何も対人関係にだけではなく
あらゆる技術の習得前、習得後にも顕著に現れる。
人間の良いところでも一部はあるのだが、
なんと言っても“最大の欠点”である。
この人間が持つ最大の欠点を是正していくのが“メンタルトレーニング手法”
初めての体験には
リラックスして緊張を消してから対応出来るように。
そして特に“慣れ親しんでしまった”事には
リラックスして雑念を落とし、十分状況判断をしてから一点集中出来るように。
「スポーツ選手は試合中にはあまり怪我をしないのだが
慣れ親しんだ簡単な練習やストレッチで大怪我をしてしまう。」
初めての体験では全力を出し切ろうとする気持ちが働き
案外、致命的な失敗は少ない。
しかし
慣れ親しんだ事には致命的な失敗が多いと言う事を、肝に銘じて・・・・