沢田さんが亡くなって早一年
私の大の親友だった沢田鉄郎さんが亡くなって早一年。
彼が亡くなったであろうと推測される6月23日。
京都は深草にある深草墓園に行ってきた。
一年前と同じように、駅近くのスーパーで
彼の好きだった焼酎を買い、暑くて急な坂道を登る。
墓園は深い緑に囲まれ、桃源郷のような雰囲気。
しかしあいにく墓園周りの公園は工事中で、騒音の中でのお祈りとなる。
さてさて、人が亡くなって一年も経つと
仲間内でもなかなか話題にのぼって来なくなる。
寂しい話だが、それはそうかもしれない。
いつまでも脳裏に居座られると日常生活に支障をきたすからだろう・・・
私が亡くなった場合もそうなるのだろう。
なにか強烈なインパクトを与えるようなものを残しておかなければ
簡単に忘れられてしまう。
だから私は、本を一杯残す、気味の悪い“絵”をたくさん描いて残す。
そしてドジや失敗など“汚点”を一杯残す・・・・・
それでも3年は持つまい。
日本の美しさ、いかに。
先日、大手住宅販売会社の営業部研修で
四国は高松に行ってきた。
岡山まで新幹線、そして岡山からはマリンライナーで高松に入る。
いつも感動するのだが、瀬戸大橋から眺める内海の美しさ・・・・
こんな絶景が日本にあるのかと何度も感動する。
なのに、他の乗客は慣れっこになっているのか
スマホをいじっている、本や新聞を読んでいる、そして寝ている人。
首を前後、左右、上下に振りまくっているのは私だけ。
セミナーの翌日、金毘羅さんに行こうと思ったのだが
「1600段以上も登らなければならないのですよ!」と脅され
仕方なしに高松港の船着場でボ~と一時間半ほど過ごす。
この港から見える景色が、また絶景かな・・・
右手には平家の滅亡の始まりである屋島が見え
正面には小豆島、その左には島全体が美術館と化した直島が。
前夜のセミナーで、
ではなく、呑み屋めぐりで疲れ切った心身を癒してくれたようである。
さて今回は、今までと全く違う内容のセミナー。
次回はこのセミナーに関してお話してみたい。
楽しみを見つける
ブログすこしの間、ご無沙汰してしまった。
その理由は?
絵の楽しさを今頃になって再認識したのか
平日の夜も、土日の朝から夜まで
家に新しく作った粗末なアトリエに閉じこもり、せっせせっせと作品作り。
この一か月ほどで出来上がった絵は30枚。
私の悪い癖でもあるのだが
一度思いついたらトコトンやらなければ気が済まない。
ジャンルにこだわらず色々なものを描く。
画材も、油、水彩、製図用インク、クレパス、クレヨン、カラーインク・・・
そして絵はウソが描けるからまた楽し。
写真ではそのまま現実が写ってしまうのだが
「絵」は色も形も・・・配置さえ自由自在、思うがまま。
だからこの世に存在しない不思議なものが出来上がる。
空想、空想、空想。
またまた、大変なウソつきになってしまったようである。