子供たちの「欠点」と「長所」その2
前回の続き、子供たちの「欠点」と「長所」その2
さてさて、もう何十年も前の話なのだが忘れられないワンシーンがある。
それは私がまだイタリアはミラノに滞在中のこと。
とあるBARの一角で、私は友人に
「大人になるには欠点と言う“角”を取り“丸く”ならないといけない」
等と絵を描きながら偉そうに話をしていると。
とあるBARの一角で、私は友人に
「大人になるには欠点と言う“角”を取り“丸く”ならないといけない」
等と絵を描きながら偉そうに話をしていると。
友人は「ここイタリアでも昔から同じ様な事を言うよ」
と、私の絵の下に描き出した。
と、私の絵の下に描き出した。
図柄をクリック
私の言う日本での“丸く”なるとは
自分の周りにある悪いと言われる“欠点”を削り取りながら
回転した結果丸くなったもの。
かたや友人の言う丸くなるとは
“欠点”も“長所”もそのままの状態で回転した結果“丸く”なったもの。
“欠点”も“長所”もそのままの状態で回転した結果“丸く”なったもの。
どうやらイタリアで言う丸くなるとは
“欠点”を“個性”と言う名にすり替えてそのまま残したことにより
オリジナリティ豊かでスケールの大きい人間を作り出してきたのだろうと
すごく驚いたことを思い出す。
“欠点”を“個性”と言う名にすり替えてそのまま残したことにより
オリジナリティ豊かでスケールの大きい人間を作り出してきたのだろうと
すごく驚いたことを思い出す。
なるほど“欠点”を角度変えて見てみたら“個性”
そのような考え方がイタリアをはじめ欧州のラテン諸国で
レオナルド・ダ・ビンチのような人たちを多々育て上げたのだろう。
そのような考え方がイタリアをはじめ欧州のラテン諸国で
レオナルド・ダ・ビンチのような人たちを多々育て上げたのだろう。
欠点と見える箇所も修正して消してしまわず
その欠点を社会に順応する“個性”(オリジナルな才能)
として育み“長所”と連動させる。
その欠点を社会に順応する“個性”(オリジナルな才能)
として育み“長所”と連動させる。
今の時代、長所のみを大事に伸ばした結果より、大成する可能性が大きいかも。